じんせいを60歳までとかんがえたら
ぼくらは今を、そして自分自身をもっとたいせつにできるんじゃないかな。
こんなにもゆたかなくにで
けんこうにもめぐまれ
なんでもできるこのじだいに
ぼくらはなにをふあんにおもうのだろう?
まいにち今日という日をふあんにおもっているのなら
きっと50ねんごもふあんであり
おかねがなくても今をまいにちわらえていれば
きっと50ねんごもわらっているよ。
50ねんごも今日のつみかさねでしかないからね。
ぼくらのたましいは
がまんするためにあるのではない。
しんどいおもいをするためでもない。
だれかに言われてやらなければいけないことなどなにひとつない。
でもみんな父と母がつくったからだというハコのなかで
やらなければいけないことがあるんだとおもうよ。
それをぼくはしごとと呼ぶ。
ビジネス(しごと)とはたましいという言葉にも置き換えられるくらい
とてもあたたかいぬくもりのあることだとおもう。
げつようびもきっと
ほんとうはもっとすてき。
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